ふるはしかずおの 絵本ブログ

絵本をちょっと身近に。

「おしっこ バイバーイ うんち バイバーイ」

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 子育てのなかで、オムツがとれるというのは、印象にのこる成長のひとこまです。

 そのような年頃の子どもを題材にした『うんちがぽとん』(アロナ・フランケル文・絵、さくまゆみこ訳、アリス館)というおもしろい絵本があります。

 主人公のまあくんは、2歳くらいの男の子。

 あるひ、おばあちゃんから、おおきなプレゼントをもらいました。白い壺のようなかたちをしています。( 実は「おまる」です。)

 おまるが、何だかわからないまあくんは、「ぼうしかな?」と思って、かぶってみたりしています。 おもしろい場面です。ユーモアの味付けがしてあります。

 「このなかで おしっことうんちをしようね」とママに教えられて、まあくんは「うん、そうする」と大喜び。

 しかし、うんちは なかなかでてきません。

   でたかな? まだまだ

   でたかな? まだまだ

  でたのは、ずっと あとになってから。それも、おまるの中じゃなくて、外にしてしまいました。けれど、ある日、まあくんは、うんちがでそうな気がして、もう一度 おまるにすってみました。

   でたかな? まだまだ

   でたかな? まだまだ

   でたかな? まだまだ・・・・・・・実に36回もくりかえされます。

  そして、まあくんは。

   でた! おしっこと うんちが とうとう でたぞ! ちゃんと おまるの なかにだぞ!

   ほら、おかあさん みて! みて!

 まあくんの誇らしい気持ちです。まあくんは、おかあさんと いっしょに、おまるのなかみを トイレに 捨てました。

   「おしっこ バイバイーイ うんち バイバーイ」

   (子どもが、このように言うのは、よくあることですね)

 「あかちゃんから、もう一歩大きくなりたい子どもたちへ! 人間にとって,基本的で大切なことをユーモアで伝えます」と絵本にありました。この絵本は、英語、ドイツ語、スウェーデン語、ヘブライ語、ノルウェー語で出版されているそうです。

 この絵本を読んでもらう子どもの多くは、おしっこやうんちを、一人でできるようになっているこどもでしょう。

 「ぼくは、もうできるんだよ」、「わたしはお姉ちゃんなんだから」と、ちょっぴり自尊心をくすぐりながら、自分たちの通ってきた道をふりかえるのです。

 題材は、うんちやおしっこですが、「バイバイ赤ちゃんシリーズ」とあるように、子どもの成長がテーマになっています。

 子どもの自立心をたかめながら、自分の成長を確認できるように仕組まれています。

 そして、ユーモアは、こうしたテーマには欠くことのできないものです。

 

三びきのこぶた-リアルな人物像

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  『三びきのこぶた』の絵本は数多くありますが、瀬田貞二訳、山田三郎画の福音館書店の絵本は、イギリス民衆の生活の厳しい現実が反映しています。

  三びきのこぶたが、家を出ることになったのは、こんなわけでした。

  おかあさんぶたは びんぼうで、こどもたちを そだてきれなくなって、じぶんで くらして いくように、三びきを よそにだしました。

 生活の貧しさという現実をここに見ることができます。

 そして、この後どうなるかは、みなさんよくご存知のことと思います。  

 ところで、三番目のこぶたのことですが、れんがの家を建てて、おおかみを追い払う、かしこいこぶたのイメージがつよい人物ですが、こんな場面もあります。

  「ねえ、こぶたくん。おれは、とても いい かぶばたけの あるところ、しってるぞ」

  「どこだい」

  「ごんべさんの うらだよ。よかったら、あしたの あさ、さそいにくるよ。いっしょに とりに いこうよ」

  「よしきた、ぼくも いくよ。・・・」 

 ごんべさんの作っているかぶを盗みにでかけるおおかみとこぶたです。なんと、ふてぶてしい人物たちでしょう。

 そして、おおかみと6時に起きて、かぶを盗みにいく約束をしますが、こぶたは、先回りして、おおかみをだしぬく、ずるさももっています。

 今度は、りんごの木のあるところを知ってるぞ、とおおかみは誘います。

 5時のところを、今度は4時に出かけ、出し抜こうとしますが、りんごの木に登ってるうちに、おおかみがやってきてしまいます。

 この危機を、こぶたはどのように乗りこえるのでしょうか。

 りんごをひとつ遠くにほうり、おおかみがひろいにいってる間に、「いそいで にげかえりました。」 機転をきかせたアイディアで、この危機をのりこえます。

 最後は、おまつりの場面ですが、ここでも、「ばたーつくりの たる」に隠れて、おおかみから難を逃れるのです。

 このように、厚みのあるリアルな人物像が描かれています。

 えんとつからおりてきたおおかみは、最後には、なべのなかに、どぼんとおちてしまいました。

 そこで こぶたは、すぐさま さっと、ふたを かぶせ、おおかみを ことことにて、ばんごはんに たべてしまいました。

 それからさき こぶたは ずっと しあわせに くらしました。

 この結末を子どもたちはどのように評価するのでしょうか。

『かにむかし』-クライマックスの文章

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 『かにむかし』(木下順二文、清水崑絵、岩波書店)の最後の場面は、息のながい文が続きます。読みかたりのむずかしい場面でしたので、きょうはここを書いてみます。

 

 それまで はいのなかで きばっていおった ぱんぱんぐりは、もう がまんしきれんように なるまで きばったところで、さるの せなかへ ぱーんと はねくりかえった。

 「きゃあっ」

と、とびあがって どまへ とんでにげて、みずを かぶろう、とおもって、みずおけの みずへ

しゃっと 手をつこっだところが、まっておった こがにどもは、そうれっと、がしゃがしゃ、がしやがしゃ、さるの からだへ とっついて、からだじゅうを じゃきじゃき、じゃきじゃきと はさみきりだしたから、さるは ますます びっくりして 戸口のところへ にげたところを、うえから ぶーんと はちは まいおりて、さるのあたまを じーんと、するほど さした。

 さるは もう なにも わからんように なって、戸口を ひとあし とびだしたところが、そこには うしのふんが すわっておったもんで さるは つるりと すべったひょうしに そこに たって まっておった はぜぼうに あしが ひっからまって、はちに さされた あたまを ごつうんと ぶったと おもったときには、

 うえから-

 おおきな 石うすが どしーんと おちてきて、さるは ひらとう へじゃげて しもうたそうな。

 これで おしまい

 

 このクライマックスは、読んでみますと体にじかに響いてくるような慌ただしさや緊迫感があります。ぱーん、きゃあっ、しゃっ、そうれっ、がしゃがしゃ、じゃきじゃき、ぶーん、じーん、つるり、ごつうん、どしーんといった音感的な言葉(オノマトペ)の大盤振る舞いです。仮に、これらの言葉を抜いて読んでみますと、その効果がよくわかります。この場面の慌ただしさやにぎやかさ、おはなしのテンポを作りあげています。 その場に居合わせるような臨場感を感じます。

 この場面は4つの文から出来ていますが、2番目と3番目の文が、とても息のながい文になっています。切れるようで切れずに綿々とつづく文体は、木下民話の特徴のひとつですが、この場面にも、それがよくあらわれています。

 映画表現のひとつに、カットバックという手法があります。カットバックとは、ふたつの場面を交互に挿入して、緊迫感などの劇的な効果をたかめる映像方法のことですが、『かにむかし』のこの場面も、カットバックの手法に似ています。視点が小気味よくかわって、とてもおもしろいテンポを作りだしています。

  ぱんぱんぐりは・・・・・。(さるは)・・・・・、こがにどもは・・・・・、さるは・・・・・、はちは・・・・・。

さるは・・・・・、うしのふんが・・・・・、さるは・・・・・、はぜぼうが・・・・・、石うすが・・・・・、さるは・・・・・。

  文は、このように切り目なくつながっていきますが、けっして冗長な感じをうけません。畳みかけるようにして、さるをどんどん追い込んでいきます。オノマトペの響きによってにぎやからなった世界に、テンポがあり、リズムと強さをもった文が織り込まれています。この文体をいかした「読みかたり」を心がけたいものです。

絵本の文脈をつくる-『ロージーのおさんぽ』

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  『ロージーのおさんぽ』(パット・ハッチンス、渡辺茂男訳、偕成社)は、絵でストーリーを語っています。文章は最小限のことしか語りません。

 

  めんどりのロージーが おさんぽに おでかけ。(第1場面)

  おにわを すたこら (第2場面)

  首が曲がるほど草かきにぶつかるきつね。ロージーは間一髪、難を逃れますが、きつねが命を狙っていることに気がつきません。 文章はなく絵だけです。(第3場面)

  おいけの まわりを ぐるり (第4場面)

  水しぶきがあがり、きつねはまたも失敗。

  しかし、ロージーはこの危機に気がついていません。 (第5場面)    

         ・・・・・・・・・・・

  絵本の文章は、きつねがめんどりのロージーを狙っていることを、ひとつも語りません。絵本の絵がそれを表現していますが、3歳児や4歳児は、この2人の人物の関係(命を狙う-狙われる)がよくわかっていないときがあります。

  きつねがロージーを狙っているという文脈が、文章にありませんので(したがって語られませんので)、読者は2人の関係を理解しておくことが求められています。

   この文脈がつくられませんと、きつねが何度も失敗する場面を楽しむのとが出来ません。

 『ロージーのおさんぽ』は、文字がすくないので、一見するとやさしい絵本のようにみえますが、3歳、4歳の子どもにはむずかしい絵本ともいえます。絵本の文脈を、読者が自分でつくらなければならないからです。 

  読み手は、読みかたりをはじめる前に、表紙を見せながら、人物の関係について説明し、絵本の文脈を前もってつくっておくのがよいようです。

 

 

「ぼく」と「エルフィー」を見つめる温かで、多重な世界

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 『ずっーと ずっと だいすきだよ』(ハンス・ウィリアム絵と文、久山太市訳 評論社)は、「ぼく」と犬の「エルフィー」との心の交流を描いた素敵な作品です。大好きだったエルフィーの死を通して、「ぼく」の心の成長を感じ取ることができます。

 作者のウィリアムさんは、絵と文の両方をかいていますので、両者を有機的に結びつけています。「ぼくたちは、いっしょに大きくなった」という文のうらに、二人のふれあいの時間がぎっしりと詰まっていることを絵で表現しています。

 エルフィーのドッグフードを食べている「ぼく」、いっしょにおしっこするふたり、エルフィーの背中にのっている「ぼく」、誕生日のケーキのろうそくを吹き消す「ぼく」とエルフィー、バスケットの中にいるエルフィーなどが描かれていますが、それはアルバムにはられた思い出写真のようです。

 エルフィーとぼくが描いたのは、語り手の「ぼく」ではありません。つまり、ふたりを描いた人物がいます。推測ですが、作者のウィリアムさんは、ご自身のお子さんのことを描いたのではないでしょうか。水彩画の絵にとても温かいものを感じます。

 この作品は、「エルフィーのことを語るぼくの世界」が真ん中にあり、それを温かく見守る「画家の世界」、そして作者、聞き手、読者の世界が取り囲んでいます。このような三重、四重の枠組みが、この作品に奥行きや立体感を与えています。

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 そして、最後に、ぼくは、将来、ほかの犬や子ネコやキンギョを飼うことがあるだろうと想像しています。でも、「なにをかっても、まいばん きっと、いってやるんだ。『ずっーと、ずっと、だいすきだよ』って」。

 「ずっーと、ずっと、だいすきだよ」という言葉は、たとえほかの犬を飼ったとしても、「エルフィー、きみのことは忘れないよ」というぼくの深い思いです。

 

オノマトペの絵本-ものごとの本質を感覚的につかむ

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 谷川俊太郎文、なかのまさたか絵(福音館書店)は、擬態語や擬音語でできている絵本です。

 さらさら/ぺたぺた/ぴしょぴょ/こ゜くんこ゜くん/ぎゅうぎゅう/ぽき/くしゅくしゃ/ぺとぺと/つるごつん/ふわふわ

 「さらさら」「べたべた」「びしょびしょ」「ごくんごくん」といった言葉から、わたしたちはある情景、状態、動きを思い描くことができますが、絵本はどのような絵をつけているのでしょうか。これらの言葉は、ストーリーらしいものを語っていませんが、絵本の絵は、公園で遊んでいるおんなのこが、雨に降られて、「びしょびしょ」になって、家に帰り、絵を描き、お風呂にはいって眠るまでの1日をしっかりと物語っています。

 絵本や紙芝居にこれらの感覚的な言葉が多く使われていることは、ご存知のことと思います。これらを総称して、オノマトぺ(声喩)といいます。

 オノマトペは、ものごとの様子を感覚的に写しとったり、ものの音、音声などをまねて作った言葉ですから、音声によるたとえです。

 谷川俊太郎さんは、オノマトペを「おとまねことば、ありさまことば」と呼んでいます。

 日本語は、このオノマトペのたいへん多い言語です。あまりに多すぎて、普通の辞書には入りきらないので。『擬音語,擬態語辞典』(角川書店)という特別な辞書があるほどです。

 子どもの言語体験におけるオノマトペの意味について、松居直さんは「こうした音声の豊かさを伴った言葉が、言葉に対する乳幼児の耳の感覚や語感を養うのではないだろうか」(『絵本の時代に』)といわれています。

 また、これを違った角度から、谷川俊太郎さんは次のように語っています。

 それら(オノマトペのこと)によって、幼いころから、物の質感や働き、鳥獣の鳴き声、人間の心理などに対する繊細な感覚を育てることは、大切なことだとと思います。

 たとえば、笑いの表現ひとつをとっても、〈にたり〉〈にんまり〉〈にっこり〉は、それぞれ笑う人間の内心のちがいを見事にひきだしています。

 

 言い換えますと、〈にたり〉〈にんまり〉〈にっこり〉とわらう人物の内心の違いを、わたしたちは理屈ぬきで理解できます。これらのオノマトペは、このように笑う人物の本質をずばりとつかみ出しているのです。

 対象をつかみだすオノマトの力は、ものごとや「人間の心理などに対する繊細な感覚」を子どもたちの中に育てることになります。

 池上嘉彦さんの『ふしぎなことば ことばのふしぎ』によりますと、エチオピア語に「レメレメ」という言葉があるそうです。草木が青々としげっている様子をあわわすオノマトペですが、わたしたちは、この言葉から,それを連想するのはまった不可能なことです。エチオピアの人たちは、この「レメレメ」から、草木の青々とした感じをリアルにイメージしているのでしょう。

 このようなことから考えますと、オノマトペは、ものこ゜と人間に対する繊細な感覚を育てるだけでなく、日本人としての感覚ものの見方を養うものだと思います。

 

 

 

 

 

『とりかえっこ』-でんぐり返った世界

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 『とりかえっこ』(さとうわきこ作、二俣英五郎絵、ポプラ社)は、主人公のひよこが、さまざまな動物と出会い、鳴き声をつぎつぎととりかえていくおはなしです。

 あそびに いってくるよ びよ ぴよ ぴよ

 ねえ ねずみさん なきごえ とりかえっこ しようよ

     ぴよ       ちゅう

     ぴよびよ     ちゅうちゅう

 ねえ ぶたさん なきごえ とりかえっこ しようよ

     ちゅう      ぶう

     ちゅうちゅう   ぶうぶう

   ねえ  かえるさん なきごえ とりかえっこ しようよ

     ぶう       けろ

     ぶうぶう     けろけろ・・・・・・

 ねずみ、ぶた、かえるのところまで引用しましたが、この後の展開については予想がついたことと思います。かえるの鳴き声をもらったひよこは、次に誰と出会うのでしょうか。また、どのような結末が待っているのでしょうか。

 つぎつぎと動物たちの鳴き声を交換していくこのおはなしは、反復の型としていいますと、鎖のようにつながっていく絵本の典型です。

 いぬの声をもらったひよこが、ねこを追い払う場面は、意外性があって楽しめます。

 ところで、『とりかえっこ』のおもしろさがわかるには、動物とその鳴き声についての常識が必要です。 ひよこが、かめと声を取り替えて、「む」という場面がありますが、年少の子どもは、この「む」のおもしろさがわからないとある保育者が言っていました。ありそうなことです。

 この絵本は、ペープサート、パネルシアター、人形劇にも応用できるでしょう。