世界に、あなた、ひとりだけだったら。
ファンタジーの絵本です。
『世界にパーレただひとり』(イェンス・シースゴール作、アンネ・ウンガーマン絵、山野辺五十鈴訳、偕成社)。
主人公のパーレが、朝、起きると、もう「まどには、お日さまが ぎらぎら かがやいて」います。しかし、誰もいません。家にも、町にも、誰もいないのです。
「世界にパーレただひとり」です。
だから、バーレは、何でもできるのです。何をしても平気です。
お菓子や果物をいっぱい食べたり、バスや消防自動車に乗ったり、テニスのラケットや飛行機のおもちゃも手に入れることができます。
「はいるな」という芝生の中だってへっちゃら。叱る人はいません。
そして、何でも自分のもの。パーレは、欲望のままに、自由にふるまいます。
しかし、物語の後半では、「世界にパーレただひとり」という状況が、全く異なる意味をもってきます。
一人では、シーソーにのれません。映画を映してくれる人もいません。ホテルで、料理を作ってくれる人のいないのです。
「やっぱり、せかいじゅうに ひとりだけでは つまらない」と語り手は読者に語りかけます。読者もなるほどと思うことでしょう。
「ほら、もう こうえんで おともだちと いっしょに あそんでいますよ」。
パーレが、一番のぞんでいたことです。
このおはなしは、主人公パーレの欲望を肯定しながら、最後に、みんなといっしょに暮らすことの大切さや楽しさがわかるようになっています。
ところで、「せかいに パーレただひとり」は、夢物語でした。
パーレが、ベッドで目をさますこと自体が、「夢」でした。
夢のなかの世界とは気がつかずに、はじめから、読者は、空想の世界にすっぽりとはいってしまうのです。巧みな手法です。
しかし、この夢(絵本の世界)のなかで、パーレも、読者も、大切なことを体験しました。絵本を読むことの意味についても、教えてくれる絵本です。