『きんのさかな』-見えないことが見える世界
ロシアの作家、プーシキンの民話的なおはなし、『きんのさかな』(ヴェー・コナシェビチ画、宮川やすえ訳、ほるぷ出版)です。
あるとき、貧しいじいさんは、きらきらひかる金のさかなを釣り上げます。
「おじいさん わたしを うみに はなしてください。おれいは なんでも いたします。 ほしいものなら なんでも さしあげます」と、金のさかなは、助けを求めました。
じいさんは、言います。「おれいはなんどは なんにも いらねえ、あおい うみで おもいっきり およぐが いいよ」。
しかし、ばあさんは、「たらいでも もらって くれば よかったのじゃ」と、じいさんを なじりました。
じいさんは、青い海にもどって、「たらいがほしい」と、金のさかなに頼みます。
「しんぱいしないでおじいさん。あたらしい たらいを あげますわ」。
「たらい」が実現しますと、ばあさんの欲は、ますますエスカレート。
今度は「いえをたててくれとたのんでみろ」と、じいさんに言いつけます。海は、どんより濁っています。
その家も実現すると、こんどは、「貴族のおくさま」になりたいと言いだします。海は、ざんぶざんぶ、騒いでいます。
「女王になりたい」といった欲望も、実現しますが、もう、青い海は、まっくろく、濁っています。
そして、最後に、ばあさんが、金のさかなを召使にして、「海の女王」になりたいと言ったとき、海は、嵐で、まっくろになりました。
さかなは、もうなにも言いませんでした。そして、深い海の底に消えてしまいました。
じいさんは、しょんぼり、ばあさんのところに帰ります。
帰ってみますと、以前のどろかべごやと壊れたたらいがあるだけでした。
人間の欲の深さが、海の色や嵐の海によって、象徴的に表現されています。
心のなかの欲望は、見えませんが、見えない心が、ばあさんの言動や海のすがたで、はっきりと見えるようになっています。
フランスの文学史家、ポール・アザールは、よい本とはなにかと聞かれて、こう答えていました。
「特にわたしが愛する本はというと、それは、あらゆる認識のうちで最もむずかしいが、また最も必要な認識、つまり人間の心情についての認識を与える本である」。